ふらつかない

大学受験とかの名残。

それ以上詮索しない

「イミを考えたら負けな心理ゲーム」

私は浪人生の1年間で、受験をやる理由とか、自分にとっての受験の意味とかを、さんざん考えてました。納得しては物足りなくなってを繰り返しながら、悶々としながら、どうにかこうにか全身を引き摺って生きてました。そんなこんなで終わりも近づいてきた1月半ばに浮かんだ、唯一私になじんだ答えがこれでした。

結局、それ以上考えない、ってことで落ち着きました。もしかしたら、もうすぐ終わると身体が感じ取ったから、たまたま割り切れただけかもしれません。

精神病理学者の中井久夫は「成熟」について、次のように言っています。

成熟とは、「自分がおおぜいのなかの一人(ワン・オヴ・ゼム)であり、同時にかけがえのない唯一の自己(ユニーク・アイ)である」という矛盾の上に、それ以上詮索せずに乗っかっておれることである。

こちらは「自分は何者か」みたいな話ですが、大人になるとは、詮索をやめることだという意見です。仕事なり勉強なり、日常生活を生き抜くためには、目の前の義務をこなしつづけるためには、意味だの目的だのに足をとめていられない、という主張が聞こえてきます。

結局今も私は、「それ以上詮索しない」ことが最善解であることを、否定できていません。受験勉強においても、あるいはまだドツボにはまっていないだけで、仕事だの人生だのにおいても、いつか同じ結論に至るのかもしれません。(もちろん、「〇〇大学で××を学びたい!」などの確固たる動機を持っている受験生もいるでしょう。素直に尊敬します。)

ともかく、受験生だった私にとって、「受験勉強はイミを考えたら負けな心理ゲーム。」と呟いて黙ってシャーペンを持つのが、最後に辿り着いた所作でした。

(参考)

・『創造と狂気の歴史』松本卓也

・『看護のための精神医学』中井久夫山口直彦(※の一次文献)