ふらつかない

大学受験とかの名残。

「在る」②

人間は「在る」という言葉を使うことができるのでしょうか。私以外のものが「在る」という表現は、まず私以外のものが私から独立して「在る」ときに、私から独立して「在る」私以外のものを、あとから来た私が受けとるという図式が前提となっています。しかし、あとから来た私は、先に何が起こっていたのか(私以外のものが「在る」だったのか)を知る由がありません。したがって、すべての人間にとって、すなわち「在る」という言葉を使いうるすべての者にとって、その者(=私)以外のものが「在る」かどうかは、確信しようのないことです。

ただし、私たちは「在る」という言葉の意味を現に共有しています。私でもあなたでもないものを、私が「在る」と言い、あなたが「在る」と言えば、「在る」という言葉はその役割を全うします。ここで、私もあなたも、私でもあなたでもないものを、受けとることができたならば、以下のような説明がもっとも確からしいと考えられます。私とあなたの間に、私でもあなたでもないものが(私からもあなたからも独立して)「在る」のではないか、ということです。そして、あとから来た私とあなたが、ちょうどその基点で邂逅したのではないか、ということです。

つまり、「在る」という言葉は、私とあなたと私でもあなたでもないものに関する、「確かめようがないが、もっとも確からしい」説明である、ということになります。